3歳くらいの子を霊視をしていて思うこと

22Dec161.2K35146

普段、依頼がなければスピリチュアル・アナライズ(霊視・チャネリングなどを総合的に用いて相手の状態を調査すること)などはしないのですが、たまに気が抜けていると視えてしまうことがあります。或いは、尊霊の指示で視ることもあります。

過去にアナライズした最年少は14歳くらいだったかと思います。この間、たまたま3歳くらいの小さな子を見ていたら、気が抜けてしまって色々と視えてしまったことがありました。

僕はスピリチュアルセッション時の記憶が、ある条件下で曖昧になるのですが、その小さい子を視ていて過去にも同じようなことを感じたことを、ほんのり思い出しました。これは完全に尊霊によるお勉強タイムです笑。

と、いうのも、普段”大人”ばかりを視ているので少し違った印象を、小さい子を視ていて、抱いたのです。カルマと輪廻転生で宿命と運命についてお話しましたが、実はわかりにくくなるかもしれないと思って省略した部分がありました。

不変流は絶対的で、自由意志によって逃げたり変えたりすることができないとお話しました。可変流は、決定権が当人にあるのでいくらでも変えられるのですが、これには実は制限があるんです。それはその時までにどのくらいの選択をしたかによって次に導き出される道なりが分かります。

まぁ、普通に考えて見れば分かるかと思いますが、選択してきた傾向から次に選択するであろう道を予測するといったマーケティングの論理に近いかと思います。スピリチュアルになってくると、より断定的になってしまいますが。

何が言いたいかというと、大人を視る時には、その方がこれからどうなるのかが、お伝えできるかできないか問わず、大概分かります。しかも、その時スピリチュアル・アナライズによって与えられる影響も考慮しながら、なのでほぼほぼ的中します。

しかし、小さい子を視ていると、それが幾多にも分かれて、聡明になる可能性も落ちこぼれる可能性も、安いセリフで言ってしまえば可能性に溢れているのです。このことが、この記事を読んでいるみなさんに、どれくらい素晴らしいのか実感してもらえるような表現は見つかりませんが、僕はとても、希望を感じるんです。

もともとスピリチュアルでは”赤ちゃん”が完成された魂を持っているとされて、成長する過程でこの世界の理に順応して、その完全性を残念ながら失います。なので、よく意外だと言われますが、僕は子どもが大好きなんです。視ているだけでエネルギーをもらえるというか、癒されるように思えるんです。

と、少し脱線しましたが、結局のところ自分の理想とする未来は、(冷静な正当性のある)努力さえし続ければ、空想に留まらないということを言いたかったのだと思います。本心からそう思えると、混沌とした世界情勢を目の当たりにしても落胆するだけでなく、ベターな道を選ぶ活力になるのではないかなと、その子どもを視ていて思ったのでした。

ちゃんちゃん!(照れ隠しです笑)

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