カルマと輪廻転生

17Dec162.5K20180

僕の同僚の話です。彼は、よい魂を持っていますが素行がよくありません。自愛という感性が少し鈍いのかもしれません。彼は、人脈を広げるために連日連夜酒席に参加し、夜から朝までお酒漬けの生活をしていました。二日酔いのまま出社することも珍しくなくなるくらいに。

彼の会社での部下に対する接し方も辛辣で、好き嫌いなどで態度を大きく変えるのも目立っていました。彼の仕事ぶりを批判したりするのは同僚ではなく上司の仕事ですし、プライベートなことにも口出しするのは筋違いだし、口うるさいのは鬱陶しいと思うので、何も言わずに居ました。

彼は副業で株のようなことなど色々とやっていました。それでお金に余裕ができると豪遊し湯水のように浪費していました。僕が”視て”いても居なくてもこのままでは、嫌な予感がするなと感じてはいても、やはり胸の内を言えずに居ました。

そんな彼のオーラが曇りだし、スピリチュアルな人相もよくない状態に陥っているのが気になりました。さすがにヤバいと思い、一先ず精神よりも体調を整えて健康を取り戻すのが大事だということを伝えるために「酒とタバコを控え、食事を気にしてよく寝な」というようなことをしつこく言いました。

案の定というか予想通り、真剣には受け止めてもらえずに、はいはい気をつけますよ、と流されてしまいました。僕はこう見えてとても気にしいで、特に相手のプライベートや心理的なゾーンに立ち入るようなことがある場合には慎重に言葉を選んで、礼儀を重んじるようにしてしまいます。本来はズバッと言った方がいいのですが言えないことの方が、情けないですが、多いです。

ヤバいなと感じてから2週間後くらい経った、先月の初旬に同僚の彼は脳出血で倒れ一月近く入院しました。現在は退院していて元気な姿を見せてくれました。近々帰郷して療養するそうです。僕は正直、死ななくてよかった、と思いました。実は本気で死んでしまうのではないかと思って居たのです。

然し乍ら予断は許さない様子で、10年内の生存率が6〜8割程度なのだそうです。なので命に別状はない、とも言い切れないので、まだまだ心配して居ます。彼は懲りないですから…

僕は彼とは、そんなに”仲良し!”ではないのですが、良い魂を持っているので気にせずには居られなかったのです。(変な意味はないです笑)。

どうして、この同僚の話をしたのかというと、これが「カルマ」の分かりやすい例になるから、です。良い魂であればあるほど、神仏は導いてくださいますので、それだけヒントや手助け、「厄年の意味」でも書きましたが”愚行の清算”ができるようになんどもなんどもチャンスを差し出してくださいます。

そういったことを無視し続けてしまって、繰り越された課題が今回の脳出血という形で現れたのです。ちなみに、同僚は30代前半です。

よく前世で〜とか話を聞きますが、カルマは今世での行動に対しての、今生きているうちの、因果ということなので前世は関係ありません。ご縁のある神仏や僕の尊霊などからも、前世は無いとみて良い、と指導されているので前世に関しては否定派です。あったからと言って今が楽になるわけでもないでしね…。

お天道様が見ているよ、とか、天に唾する、とかそういったことわざ通りの表現がカルマというニュアンスになるので、日本人にとってはもしかしたらとても馴染みが深いものだったのかもしれませんね。

また、前世が無いということはそういった意味での、前世での生き様を現世に引き継いで、現世での経験を来世へ繰越すような、輪廻転生もありません。その時代、その生涯で経験したことは基本的にはその時に全て消化されます。

「厄年の意味」でも書きましたが、宿命と運命という概念がスピリチュアリズムにはあります。宿命というのは全くもって変えられない定め、であるのに対し運命は宿命を達成するための試練となるため自分の意志で選択・拒否・変更することが可能です。

この考え方をベースにして、宿命を上位概念として大きな流れを連想します、不変流と呼びましょう。その下に運命があって、これは可変流と呼びましょう。不変流というのは、そのひとつの生命体が長い年月の中で、成長し宇宙の法則となるために神々と定めたものです。可変流は、不変流の命題を達成するために試行錯誤(転生)して学び成長するためのもの、なのです。

つまり、可変流での転生はそれぞれの生涯で得た知恵や経験を不変流にアップロードして必要なデータが揃ったら宇宙の法則としてアップデートされるようなものだと思っていただければイメージし易いのではないかと思います。不変流は、たまにハイヤーセルフといったように表現されることもあるそうです。

なので不変流はひとつの流れで最後まで続くのに対し可変流は断続的に、生まれ変わりながら、学ぶという構図になるので、可変流の転生する情報がそれぞれに引き継がれてしまうと、本来学ぶべきことが学べなかったり、帳尻が狂い歯車がうまく回らないからくり人形みたいになってしまうので、そういった意味での前世・来世という概念は持たない方が良いということです。そういう風に教わりました。

以上が、カルマと輪廻転生に関するお話でした。例題として、プライベートな悔しさを吐露してしまい申し訳なかったのですが、自分への戒めとしても残しておきたくて書きました。今回のように明らかで無いケースでも、どんな言葉が相手に届きひっかかり考えてもらえるか、嫌われようが何しようが相手のためを思ってエゴを捨てられるようにこれからも精進に励みます。

同僚の彼が、本当に懲りて、自分の行いが全てを招いたということに気づき、少しでも自愛できるようになることを祈って居ます…。余談ですが、良い魂を持っている人ほど神仏からのサポートが手厚いと言いましたが、逆に魂が卑しいとなかなか”答え”が現れず60代/70代で清算が入り大変な目に合う傾向が強いようです。一概には言えないですけどね。

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