ポジティブ思考とネガティブ思考

03Sep204K248

みなさま、お久しぶりです!またまた、長いこと記事を更新できていませんでしたが、病気や夏バテもせず元気に過ごしております。Covid19が蔓延したいへんな事態になっているかとは思いますが、ご健在でいらっしゃいますでしょうか。

さて、今回は、親戚の高校生の女の子(T)に相談をされていて思ったことを共有したいと思います。

ソーシャルメディアが普及して、全世界の社会的価値観がおおきく変容していく中で、確固たる信念や倫理観を持って慎しくも力強く精進し生活する人々へのスポットライトが残念ながら減り、一見派手で気楽な活動をする人々がもてはやされ商品として消化されることがとても目立ってきていると、僕は感じています。

僕も変に生真面目で根暗な面があるので、このブログの記事もいくつも書いては下書きとして保存し「これは公開して価値のあるものなのかな」と悩んでは"余計なことばかり"を気にして本末転倒な結果に陥ることが多くあります。一つの例を上げましたが、このようなことが重なり、やっとリアリティ(実感)を伴った「霊性と精神性は比例しない」ということを理解しました。

いわゆる”神様の言葉”をお伝えするので、聴き心地は様々を達観したようなところがあるかもしれません。でも、一人の人間としてはご相談いただく方と何ら変わりがないので、くだらないことで一喜一憂を繰り返す迷える子羊であると自負しています。

そのTも完全なる迷える子羊なのですが、話を聞いていると感性が死んでいないことに気がつきました。親を含め身近なところにお手本となる大人がいなければ、頼りにできる友人や先生なども居らず、残念ながら環境に恵まれていないのだな、と思いました。僕も似たような境遇で育っているので、どうしても親身に感じて助けてあげたくなり頻繁に話を聞くようになりました。

「まともな大人になりたい」とその子は言います。「大学に行き留学をして視野を広げたい」と大胆な夢も語るようになりました。その子は友人へもそのような話をすると「大学なんて借金をしてまでいくところじゃない。まだ若いし可能性もあるんだから、だったら高校卒業後すぐ留学すればいい。」とアドバイスをもらったといいます。

耳触りの良い言葉に感じそうですが、僕はこれこそがネガティブ思考なのだな、と感じました。英語もろくに喋れない子どもが、何のあてもなく(明確にやりたいこともなく)、何も知らない異国の地で就学することの厳しさをしっかり教えない、その無責任さに腹さえ立ちます。しかも、よく聞くとその友人は日本で大学へ行ったこともない、というのです。あぁ、きっとTの周囲には、このような"他人の人生に対して野暮で根拠のないことを言い放って責任を押し付ける人"しかいないのだろうな、と思いました。

Tは色々と調べて、留学のできる大学を選んでいたので、詳しく話を聴きました。「学費はいくらで、2年生時の成績優秀者から選別された人が交換留学生として海外へ行ける」と言い、「でも、もし成績優秀者になれなかったら、もし交換留学生として選ばれなかったらきっと大学をやめてしまう」と不安をこぼしました。

そこで、私はこう返しました。
「もし、大学に行かない道を選んだら、高校を卒業してもきっとろくな就職先は見つからず、今のバイトのような日常をずっと繰り返すことになるよ。それは嫌なんだよね。だったら大学へ行くとした場合の可能性を考えてみよう。大学へ行きたいと思い立ったのは一年前くらいだよね。そうしたら大学へ入って1年もすれば、今よりももっと視野が広がって何かやりたいことを見つけるかもしれないよね。成績が優秀でなくても、努力して入学ができたのなら、見える景色は変わるよね。交換留学生として海外へ行けなくなったとしても、心が躍るようなワクワクすることに出会えるかもしれないよね。変わらないことよりも変わることを怖がってるのはどうしてだと思う?」

もちろん、学歴がすべてではありませんが、現在の日本では明らかに、良いとされる学歴があった方が優遇され、生きる上で有利であることは過言ではありません。個人の努力で如何様にもそれを覆せますが、それは本人がそう決めて行動すべきで、他人がとやかく指図するべきではないと僕は思っています。なので、有利(=少しでも楽)な方法を伝えるのが「やさしさ」だと思うのです。そして、大学へ行かないことによって負うリスクを強いることに対して僕は責任が取れないので、Tには進学することを強く進めています。ポジティブなものの見方というのは、こういうことなのだと近頃は肌身で感じるようになりました。Tの周りには進学に否定的な意見を持つ人が多く、勉学に価値を見出せないのだと思います。

Tは「そこまで考えていなかった」とハッとしていました。損得勘定というものも、ある程度は重要だと僕は考えています。感情に任せて好き嫌いだけで行動するよりも、損得があるとある程度は自律できますよね。人間なので、心がある以上それだけでは全てを”縛る”ことはできませんが迷った時や感情が煩わしくなった時にはひとつの指標とするのも良いかもしれません。

僕は強情でしたので、そういったアドバイスには気づきもせずに自分の行きたい道、やりたいことへ突っ走り大失敗を繰り返しながら、学びました。本当に運がよかったとしか言えないような、努力だけではたどり着けない会社へ就職もできたし、一人で生きていけるほどに稼げるようになりました。ここに至るまでには、自分で言うのもアホくさいですが、ほんとうに辛いことが多かったです。自分の心の悩み、仕事の悩み、人間関係の悩み、他人に相談するのが苦手なので一人で抱え込んで鬱一歩手前まで堕ちましたが、神様に助けて頂いてなんとか乗り越えられました。

こんなに苦しいことを、これから人生が始まる高校生に勧められるわけがないです。もっと楽な方法で、悩みも一つずつ解決できるような方法で、頑張って欲しいと本当に心から思って、いつもアドバイスを伝えています笑

ちなみに、僕は最近スピリチュアル修行を猛烈にしています。滝行とかではありませんが、ひたすら「己を知る」ことに精進しています。やっぱり、よく言われることですが自分のことは自分が一番分からない、というのはそうなんだと実感しています。主観に客観性を持たせることは不可能ですが、"社会的にこうあって欲しい自分"とフィルターをかけてしまっているのでありのままを視ることができないことが多いようです。解釈をする前に、要は科学的に一つの事象として観測する練習がどうしても必要なようです。僕は、その方法を守護霊に教えてもらってから一年もかけてやっとありのままを視れるようになりました。そして、他人も気づくくらい変わることができました。

何が言いたいのかよく分からない記事になってしまいましたが、要点をまとめると、ポジティヴ思考というのは「現状を把握しそれを認め、よりよく改善するための行動を考えること」であり、ネガティヴ思考というのは「現状を誤魔化し認めず、それを甘んじて受け入れ良しとすること」であるということです。また「失敗することは成功する方法を見つける作業」とも、僕は神様に励まされました。

あ、あともう一つ。ポジティブ思考で思い出しました。ついでに紹介させてください。

5年ほど前に「霊感が強く、悩まされている」とご相談頂いた女性の方がいらっしゃいました。いろいろな恐ろしいエピソードも聞かせて頂きましたが、僕の眼には神様との繋がりが強い方だなーという印象がとても強い人でした(御存命なので過去形で話すのも違和感がありますね笑)。

その方は、霊障に悩まされまくっており、霊やスピリチュアルそのものが怖いものだという考えに支配されておりました。お伝えする言葉が届くのかな、と思いながら、彼女の過去を交えながらお話していくと、だんだんと恐怖が薄れて、彼女も”普通に感じる”神様の存在を意識して頂けるまでになりました。合計で5時間ほどお話をしましたが、ついには晴々とした表情でお帰り頂けたので「よかった伝わったのだな」と思い安堵したのを今でも覚えているくらい印象的な方でした。

その方から数年ぶりにお便りを頂きました。一部抜粋します。

「最近のキラキラ系スピや、SNSを大いに利用したスピ系の人たちを見る度に、色々お話を聞いて頂いた時のことを思い出します。本物の人に最初に出会えたことで、エセや、詐欺にも引っかからず、神仏様とのご縁をたくさん頂いております。どうも有難うございます。神仏様のお力の素晴らしさを、本当に困っている人や悩んでいる人にお伝えすることで、その人たちに幸運が訪れています。全然、神社すら行ったことのない人が、私に薦められ、素直にご縁のある神社に行き、そこで、とても良いご縁を頂いています。」

これ、結構嬉しかったです笑。他の方からも身に余る感謝のお言葉を頂くこともありますが、彼女は変化が著しかったので守護されている神様も大いにお喜びになられていたので、一層嬉しくなりました。

「えっへん!真面目にスピリチュアルやってるんだからね!」と自慢したかったわけではなく、この方のように霊性は高くてもどちらを視るかによって本当に世界が変わる、ということを伝えたかったのです。きっと何事にも自分にとって良い・悪いがあるけれども、それらが選択できるものだとしたら、(甘い方ではなく)良い方を選べるように心がけたいものですね。

大義を表現したかったので、(誤字脱字含め)正確性にかけるかもしれませんがご容赦ください。駄文で申し訳ないですが、もっと気を抜いて、気軽に書いていこうかなと思い始めています!

お久しぶりでした!ご機嫌よう!

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