神頼みとお金

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みなさんは、神社やお寺に参拝をなさった時にお賽銭を差し上げると思います。お賽銭は、神仏に対してではなくその場所を管理・維持して頂いて居る住職や神主に対するお布施であることは「神社仏閣への参拝方法*」でもお話をしました。

僕は、実はお布施をしません。神主や住職の方に感謝をしていないわけではないのですが、神仏と縁を結ぶことを目的として参拝しているためお金の関わりがあってはならないのです。どういうことかと言うと、一般的な神仏と縁を結ぶだけではなく、僕の尊霊や精霊からの指導などもあって、スピリチュアルな世界の学びをさせてもらっているのが大部分を占めます。

神仏と縁を結ぶというのは、目線を変えれば大変畏れ多い行為でもあります。人は誰でも”穢れ”(≒煩悩)を持って居るので、完全に神聖なる存在とコミュニケーションするのはとても気負うというか、「そんな、自分のようなものが、もったいない…」と思うような感じがあります。

別の記事で魂のグレードについては詳しく書きますが、幸運なことにも僕の魂は純粋です。なので、いろいろな天界に住む存在ともコミュニケーションができます。この穢れ、というのはお金に最も現れると言っても、きっと過言にはならないと思います。

神仏は物質ではなく精神での関わり合いになるので、そこに物質のやり取りがあると、特に僕が、影響を強く受けてしまうために、お布施はせず、その恩はスピリチュアルな行為でもって他者へ返すようにしています。

ここで、一番言いたかったことにやっとたどり着けました笑。実は僕は、スピリチュアルセッションの依頼を承るとき、相手に金銭的余裕と支払いたい意志がある場合を除いて、料金のお支払いを依頼しません。無料で行う姿勢です。また、相手に金銭的余裕と支払いの意志がある場合にも一時間あたり¥2,500のみをお願いします。これは、僕個人を一時間拘束する代償としての金額です。霊能に関わるテクニックや知識などには対価をお願いしません。

僕のこういった活動を応援してくれて居る心の優しい友人などからは「なんとかしてお金が稼げるような道があればいいね」と言ってもらえますが、こういった事情があるので、お金に繋がればそれはそれで遠くの神社仏閣へ参拝に頻繁に行けるようになるので助かりますが、きっと実現は難しいんじゃないかなと思って居ます。なぜなら、僕の能力のみではなく、神仏の御力を賜っているお陰で、高い霊能力を保てているのですからね。感謝し尽くせないわけで、それを恩返ししないと、と思っているわけです。

次に、この流れで加えてお話したいことがあります。それは神仏に対する祈願です。神頼みというやつですね。神仏は物質的なものを求めないと言いましたが、宇宙の法則として、何かを賜った場合には相応の対価が必要になります。では、金銭でなければ何を差し出すのでしょうか。

端的に言えば、弱者を助けることです。助け合いですね。神仏にお願いをして、自分の状態が改善したり楽になったりしたら、その”善”を他の人に分け与えるということです。もちろん、僕みたいな特殊な目的がなければ、ぜひお賽銭もしてください笑。

また、神頼みをする時には他力本願でないといけません。神仏の意思に従うということです。自分の考えた結果がダメだったから神頼みをしているので、それを聞かなければ、なんのための神頼みなのか分からないですしね。

ただ何かあったら神仏に頼りその通りにする、という考えだけでもいけません。人には自由意志があるので、神仏がそれを大きく侵すことはできないのです。ある程度は助けてくれますが、例えば倒れてしまったら起き上がる手助けだけしてくれて、それから歩くのは僕ら自身でないといけないということです。

人は神仏から助けてもらえ、神仏は人から活力を得ることができます。このやり取りこそが、WIN-WINの関係とでも言いましょうか、昔から日本にある美しい生活の風景なのかもしれないと、最近強く思うようになったので、お伝えしました。

最後に、お金は無くてはならないものかとは思いますが、それは生活をするためだけであって、精神の真髄に行けば行くほどそういったものが逆に不必要になっていくものですよね。僕はこれからも神仏から賜ったこの御力とご縁を大切にし、できるだけ多くの善を社会に還元できるよに精進していきますのでどうぞ宜しくお願いします。

それでは!メリークリスマス!

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