魂の優劣

25Jan172.9K30398

読者の方から質問を頂きました。よく考えてみれば真っ当な質問なはずなのに答えるのがとても難しいものでした。言語化して、丁寧に説明ができなければそのこと自体理解して居ないと見做されますから、ずっと考えて居ました。

カルマと輪廻転生」で、友人が良い魂を持っていると書きました。それを読んでくれた別の友人が「じゃあ良い魂と悪い魂はどうやって見分けたらいいの?」と疑問を持ったそうなのです。

そもそも魂の良い悪いはどんな基準で見ているか、も気になるな、と思いました。そこで、今回はそのあたりを掘り下げてお話ししようと思います。

魂の成り立ち

魂のそもそもの概念というか、はじまり、から触れていくことで馴染みを深めていこうと思います。まず端的に言えば、魂とは"神々のエネルギーの断片"なのだそうです。宇宙を包括する存在として神々が居るという風に別の投稿でも書きましたが、まさにその神々の一部であるという意味です。

生命が誕生するプロセスというのは、一概にひとつの法則のみの元で行われて居る訳ではないので、ややこしさを回避するために省略しますが、全ての生命には神々のエネルギーの断片=すなわち魂が宿っています。様々な理由や意図が背後にあるかと想像できますが、実際のところは、器(肉体)に宿って経験することそのものが重要なのだそうです。

なので、察しの早い方ならピンと来ているかと思いますが本質的に魂は神々の一部であるために、劣勢は存在し得ません。しかしながら、カルマと輪廻転生で宿命と運命(不変流・可変流)についてお話しした通り、多種多様な経験をする都合があるので神々の持つ完全性を弱める必要性が高まります。これは、生命の流れの中で必然的に劣勢を生み出していると言い換えれば分かりやすいかと思います。

全ての生命は神々の支配下にありますので、確固たる事由の元にそう言った優勢・劣勢が誕生はしますが、概念として人智のものとは大きく解釈が異なります。さらに言えば、ここで言う劣勢か優勢かは人の判断では区別できないということです。

神々と善悪

善悪というのは、人の社会にのみ存在する概念ですので、イメージはし易いと思いますが、同時に抽象的であるが故にそのイメージは、それぞれの間に大きなギャップがあるのを日々の生活で感じるかと思います。

この善悪という二つの概念は、抽象度によって分けながら考えていくと分かり易いのですが道徳の授業のように哲学的なお話しになってしまいますので、可能であれば各人で善とは悪とは何かということを考えてみてください。

スピリチュアリズムでの善とは、その個の魂が自身で定めた目標を達成するのを手助けすることだったり、或いは滅私し神々の意思に断続的に従うといった風に落ち着くかと思います。基本的には神仏や高次の存在を無視した唯我独尊かつ他者を認めず、先述の目標の達成をあらゆる手段で阻害する存在を悪と言います。

ここで少し難しいのは、神仏や高次の存在の意思というのはスピリチュアルセンスがなくても享受できている方が実は居て、外見からは容易に判断ができないとう点です。そういったセンスがあれば、もう少し易しくなるのですが、持ち合わせていなければひたすらに自問自答を繰り返し、自分や他人と向き合い続けなければいけないのかと思います。

スピリチュアルセンスで捉える、この世界の善悪

魂は物質的な影響を与えることができません。器を介してこの世界に干渉します。神聖な存在であれば、話は別で、自然現象によって警笛を鳴らしたりするようです。

富や名声、社会的地位、得手不得手などは実は全て後天的に身につけるこの世界での自戒なのです。誕生してからの、行動の全ての因果が物理的な(実証のある)対価として齎されます。

僕はスピリチュアルセッションを依頼がない限り行わない主義ではいますが、洞察力や反射練習として自分の指導霊から許可をもらった時だけは、相手の承諾を得ず、他言しない条件で視ることがあります。全てのスピリチュアルチャネルをフル活性させて視るので、いろいろなことが伝わって来ます。この時に、よく相手の魂の良し悪しを感じ取ることが多くあります。

印象としては、知らず知らずのうちに自分の考えだけでなく相手の考え(存在)を尊重していたり、相手を誑かしたり、例えば陥れようという悪意(他者を蹴り落として這い上がる根性)が微塵も感じられない場合に良い魂だなぁ、と感じます。まぁ、神仏と対峙した時に感じる独特に雰囲気があるのですが、それが少しだけ匂うことでも良いと判断することの方が多いですが。

逆に悪い魂というのは、自分に原因があるのを無視して外に(他者に)責任を押し付ける雰囲気があったり、素直でなく自分の尺度でしか事物を見ないような閉じた感性を感じると、あぁこの人は残念だけど苦労が絶えないだろうなぁと思います。まぁ、良い魂の時と同じで、神仏の匂いを微塵も感じられない場合には気の毒な印象を受けます。

波動と善悪・分別法

波動は全てにものから発せられています。それは自分自身も例外ではないです。この自分の波動と対する波動がユニゾンやハーモナイズすれば、振幅が互いに乱れず調和し、いわゆる"合う"と言える状態になります。逆に、互いの振幅が影響されてしまい乱れる時は合わないと判断できます。

類は友を呼ぶだったり、引き寄せの法則だったり色々な言い方でこの考えは広まっていますが、根底には同一か倍音関係にある振幅は調和しそれ以外は不協和となり不快感に繋がるというシンプルな理論があります。

なので端的に言えば、振幅が神仏の振幅と交わらない魂を悪いと評価できます。波動が低くても、倍音関係という基準があるので交わることができますが、そこにすら引っかからなければ残念ながら悪い魂という風な分別に繋がります。

この考えでいけば、波動の高低に関わらず調和する振幅同士の人が寄り集まり、不協する振幅は居心地が悪いのでなかなか一緒に居られなくなる訳です。つまり、波動をあげて振幅をより神仏のそれと近いものにするよう努めれば、自分のいる環境や対人関係もおのずと改善されていくようになります。

また、これが間接的に魂を良くする手段にも繋がります。しかし、オーラと同じで、その発する主体のものの状態で、出る波動やオーラの色は変わるので、やっぱり自分の精神と向き合い自分を高める志がなければならないという点に回帰してしまいますね笑。

最後に

スピリチュアリズムと聞くと、魔法にようになんでも解決出来て、それを信じていれば必ず楽に救われるというようなショートカットを連想しがちですが、実際は自分の状態に応じて相応の時間と労力がかかるものだなと改めて感じて居ます。

そんな中で道に迷いそうになった時とか、自分と向き合っているかどうかが分からなくなった時に、また胸を張って前に歩いていけるようにちょろっと手助けをするのがスピリチュアリズムのあるべきというか、立ち位置なのかなと思います。夕立の時に少しだけ雨宿りするような風ですね。

こんな感じで書いてきましたが、どうでしょうか。少しでも分かってもらえたら嬉しいです。それではまた!

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