因果について考えていること

02May171.7K31103

お久しぶりです!旅行や仕事や体調不良やらで長い間更新ができませんでした。すみません!気分を新たに、サイトのシステムをちょこっといじったので、よりスムーズに表示され読みやすくなったかと思います。気を新たにしたいので、体調不良の時のスピリチュアルな体験は今度お話しするとして因果と縁起についてお話ししようと思っています。

因果や縁起という言葉は、当時より以前にも似た表現があったかもしれませんが、一つの概念として確立されたのはブッダだと言われています。僕は仏教徒ではありませんが、仏教のそういった教えや論理はたいへん参考になるので勉強(言い換えれば、尊霊に指導を受けたり)しています。

因果という考えは、事象にはそれが起きる"理由"とその事象そのものを"結果"とするものです。縁起というのは、それを解いたブッダの表現と言えます。このシンプルな、"理由と結果"という論理は人生で経験する様々なことに当てはめて考えると、気づくことがたくさんあります。

このブログを読んでいる方は少なからずスピリチュアルなこと、言葉や科学で説明のできないこと、不思議なことに興味がある方がほとんどかと思いますが、(他の方はどうか知りませんが)僕の教わるスピリチュアリズムには魔法のようなことは起きないです。それはたとえば、何かを得るためには相応の努力が必ず必要で、その努力をすっ飛ばして得られるものは泡のように簡単に消えてしまうということなんです。

別の投稿で不変流と可変流のお話をしましたが、因果は可変流の中に含まれるそうです。先天性のものと後天性のものがあります。先天性のものは生物学的な親と育つ環境の因子があります。これは小さな因子ではありますが、それに気づかないでいれば、蛙の子は蛙とことわざがあるように知らないうちに次の世代へ"遺伝"されます。

後天的な因子は、その人が生まれた直後からとった行動の全ての結果に繋がります。一見単純ですが、これが1年、2年と経過するごとにその人の個性との関係性が強くなり、もっと複雑に、予測できなくなっていくんです。確証はないですが、もしかしたら僕がスピリチュアル・セッションなどで視る映像はこの因果関係を表しているのかもしれませんね。

少し怖いというか、自分のとる行動・とらない行動によって自分の行く末が決まると聞くと、億劫になったり、それ自体がストレスになるかも知れませんが、それは視点が単にネガティブな位置になっているだけなので安心してください。

"因果"なので、結果を見れば因子がある程度想定できる、ということでもあります。ここまで言えばほとんどの方が察しているように、例えば悪い結果になりそうなのであれば、その因子に介入してできる限り悪くない方向へ導くことが可能になります。この因子を見つけるのはきっと簡単そうに聞こえますが、見つかってからが正念場となります。既述の通り、相応の努力や工夫が必要になるので、時間がかかります。

また、不利益なことも嬉しいことも意味がある、ということに気づくことができます。何かが起こった時、誰かとの出会いや別れ、自分の置かれる環境、そういったことに落ち着いて向き合った時に、今まで考えもしなかったことや感じもしなかったことをしっかりと認めるようになるものだと思っています。僕自身もそういった経験がありますし、同じような経験をする人を何人も見てきました。

この因果の話をしたのは、今これを読んでくれている方が、もし悩みを抱えていてどうしたらいいか分からない時に、まずこういう因果関係を観察してみるのも、解決につながるのではないかな、と思ったからなんです。自分に因子があるとして、それはどんな他の因子と繋がっているのかを紐解いていけば自分が本当はどんなことを感じていているのかが明瞭になっていくのかと思います。

久しぶりの投稿なのに短くなりましたが、こんな感じです!笑
少し忙しくて投稿が少なくなっていますが、頑張って書いていくのでどうぞ宜しくお付き合いくだされば幸いです。これからもどうぞよろしく!

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